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メジャー監督、デビューを目指して!

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

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骨太なノンフィクション。
読み応えありました。

なんか心地よい疲れですね。
プロレスから総合格闘技も好きになった僕ですが、もちろん木村政彦の名前は知っていました。
「鬼の木村」「木村の前に木村なし。木村の後にも木村なし」といわれたほど、日本柔道界、
いや格闘技界の至宝。

その木村政彦がどのように柔道家、格闘家として生きてきたかを、克明に、時に筆者の
熱い気持ちが伝わりすぎるぐらいに、書かれています。

力道山との試合で木村は負けてしまいます。

そのなぜ、負けたのかが、多くの謎でした。

普通の、リアルファイトなら木村が勝っていたはずなのに、まして、プロレスルールで、
事前に引き分けにするという決まりもあったのにもかかわらず、木村は負けてしまった。

本書を読んでその謎がよく分かりました。

力道山戦の3年前に木村はブラジルで、今のグレイシー柔術を作ったエリオ・グレイシーと闘い、
見事勝利します。

もしも、この闘いで木村が負けていれば、いや、木村と互角に戦えるライバルがいれば、
木村の闘いに対する準備も、いつもと変わらず、プロレスからリアルファイトへの対応も
出来たでしょうが、力道山を甘く見ていた木村には、慢心があり、そこをつかれてしまった。

力道山戦での敗北から、死ぬまで、木村はその負けを背負い続けていかなければならなかった。

最初は引き分けで、3試合するはずの予定でしたが、力道山は試合を拒否し続けた。
短刀を持ち歩き、力道山を刺そうと付け狙ってもいた。


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後悔という言葉と生きてきた木村。


一方、生きている間は人生を謳歌した力道山でしたが、死後、明かされるその姿は
昭和のヒーローとは程遠いもの。


死後、その人間性が疑問視される力道山と、苦しみ生きた木村ですが、死後、
その業績は総合格闘技の台頭と共に、高く評価されています。


柔道家、格闘家として、不遇な晩年を過ごしたとはいえ、その生涯を考えると、
出生を偽り、這い上がるためには何でもした力道山と、どちらが幸せだったのか?


仲たがいはするものの、木村には、牛島辰熊という師匠がおり、岩釣兼生という弟子もいた。
その岩釣の幻に終わった全日本プロレス入りをめぐる攻防も面白いです。


願わくば、15分あった、力道山と木村の試合の完全ノーカットが見たいです。

今、流れているのは、9分ほどのカットしたもので、こちらも力道山サイドからのカットのようです。


こんな凄い男が居たんだと、もの凄く胸が熱くなりました。
格闘技ファンはもちろん、興味が無い人にも、ぜひとも読んでもらいたいです。
木村の生き様を知って欲しいです。

大山倍達との絡みや戦前、戦中、戦後のちょっとした裏歴史が読めるのもなかなかのものです。
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by fyamasan | 2014-06-03 23:13 | 読書 | Comments(0)