我が教え子、ヒトラー~ブラックコメディも良いぞ
2008年 10月 21日
戦後60年を過ぎたあたりから、歴史に隠されてきた
第2次世界大戦の話がどんどん映画になってきました。
特に、ヒトラーを中心にナチスドイツに関するものが
多いですね。
この映画もそのひとつ。
ヒトラーにモチベーションを上げさせ、世紀の
演説に向わせる、教師役を天敵、ユダヤ人に変更して
挑んだ歴史物。
映画「我が教え子、ヒトラー」
あらすじ・
1944年12月25日、ナチス・ドイツは連合軍との戦いに敗れ、
完全な劣勢に陥っていた。
国家存亡の危機にナチスきってのアイデアマンである
宣伝大臣ゲッベルスは、100万人の市民を前にしたヒトラーの
雄雄しい演説を撮影しプロパガンダ映画に仕立て国民の戦意も
高揚させようと企てる。
しかし、肝心の総統ヒトラーは心身を病んで自信喪失し、
とても民衆の面前に出ることなど出来ない有様だった。
そこでゲッベルスが白羽の矢を立てたのは、
世界的ユダヤ人俳優アドルフ・グリュンバウム教授だった。
わずか5日間でヒトラーの演説を再生させるための教師として、強制収容所から総統官邸へと移送され、収容所に残された自分の家族と
一緒に暮らせることを条件にこの任務を引き受けることにする。
演説を指導するうち、苦悩するグリュンバウム教授。
愛する家族を救い出し生き残るべきか、
同胞ユダヤ人のためにヒトラーを殺すべきか――。
(INTROより)
自分も含めた家族の為に生きるべきか、
それとも死んでも、信念を貫くべきか。
映画「ヒトラーの贋札」では、その狭間で揺れ動く
ユダヤ人技師たちの心の葛藤に締め付けられたが、
この「我が教え子~」はなんとも言いがたい、
ブラックコメディに仕上がっているのが、興味深い。
ヒトラーの演説指南役に抜擢されたユダヤ人俳優。
目の前に、自分たちの民族を虐殺した張本人がいる。
しかも欝で精神的にも参っている。
殺そうと思えば、すぐにでも出来る。
しかし、実行に移せば、家族の命はない。
嫌悪感を抱きながらもヒトラーに接するうちに、
意外なヒトラーの人間性が見えてくる。
父親からの虐待が未だにトラウマだったり、
劣勢からの怯えからか、ED状態だったり、威風堂々とした
あの殺人者のヒトラーはどこにもいない。
映画では、ゲッベルスが、「ユダヤ人なら総裁は反発が出てくる
から、その反発心を利用して、総裁にもう一度、モチベーションを
あげてもらいたい」、そのためのユダヤ人の起用だった。
ピーーーんと張り詰めた緊張感をほりほぐす、
所々にゆったりとした笑いがある。
しかもブラック。
不思議な感情を持たせながら、映画はクライマックスまで
観客を連れて行く。
実際にヒトラーの指南役をユダヤ人に変更、
そして、時代を1944年の12月に。
この映画自体がブラックユーモアな感じがするが、
「ヒトラー~最後の12日間」
「ヒトラーの贋札」のような、緊迫した歴史物も
いいが、思わず笑ってしまう、歴史物もどうでしょうか?
アドルフ・グリュンバウム教授を演じた、
ウルリッヒ・ミューエはもうすでに亡くなっており、
「善き人のためのソナタ」に続いての日本公開作と
なっています。
第2次世界大戦の話がどんどん映画になってきました。
特に、ヒトラーを中心にナチスドイツに関するものが
多いですね。
この映画もそのひとつ。
ヒトラーにモチベーションを上げさせ、世紀の
演説に向わせる、教師役を天敵、ユダヤ人に変更して
挑んだ歴史物。
映画「我が教え子、ヒトラー」
あらすじ・
1944年12月25日、ナチス・ドイツは連合軍との戦いに敗れ、
完全な劣勢に陥っていた。
国家存亡の危機にナチスきってのアイデアマンである
宣伝大臣ゲッベルスは、100万人の市民を前にしたヒトラーの
雄雄しい演説を撮影しプロパガンダ映画に仕立て国民の戦意も
高揚させようと企てる。
しかし、肝心の総統ヒトラーは心身を病んで自信喪失し、
とても民衆の面前に出ることなど出来ない有様だった。
そこでゲッベルスが白羽の矢を立てたのは、
世界的ユダヤ人俳優アドルフ・グリュンバウム教授だった。
わずか5日間でヒトラーの演説を再生させるための教師として、強制収容所から総統官邸へと移送され、収容所に残された自分の家族と
一緒に暮らせることを条件にこの任務を引き受けることにする。
演説を指導するうち、苦悩するグリュンバウム教授。
愛する家族を救い出し生き残るべきか、
同胞ユダヤ人のためにヒトラーを殺すべきか――。
(INTROより)
自分も含めた家族の為に生きるべきか、
それとも死んでも、信念を貫くべきか。
映画「ヒトラーの贋札」では、その狭間で揺れ動く
ユダヤ人技師たちの心の葛藤に締め付けられたが、
この「我が教え子~」はなんとも言いがたい、
ブラックコメディに仕上がっているのが、興味深い。
ヒトラーの演説指南役に抜擢されたユダヤ人俳優。
目の前に、自分たちの民族を虐殺した張本人がいる。
しかも欝で精神的にも参っている。
殺そうと思えば、すぐにでも出来る。
しかし、実行に移せば、家族の命はない。
嫌悪感を抱きながらもヒトラーに接するうちに、
意外なヒトラーの人間性が見えてくる。
父親からの虐待が未だにトラウマだったり、
劣勢からの怯えからか、ED状態だったり、威風堂々とした
あの殺人者のヒトラーはどこにもいない。
映画では、ゲッベルスが、「ユダヤ人なら総裁は反発が出てくる
から、その反発心を利用して、総裁にもう一度、モチベーションを
あげてもらいたい」、そのためのユダヤ人の起用だった。
ピーーーんと張り詰めた緊張感をほりほぐす、
所々にゆったりとした笑いがある。
しかもブラック。
不思議な感情を持たせながら、映画はクライマックスまで
観客を連れて行く。
実際にヒトラーの指南役をユダヤ人に変更、
そして、時代を1944年の12月に。
この映画自体がブラックユーモアな感じがするが、
「ヒトラー~最後の12日間」
「ヒトラーの贋札」のような、緊迫した歴史物も
いいが、思わず笑ってしまう、歴史物もどうでしょうか?
アドルフ・グリュンバウム教授を演じた、
ウルリッヒ・ミューエはもうすでに亡くなっており、
「善き人のためのソナタ」に続いての日本公開作と
なっています。
by fyamasan
| 2008-10-21 03:05
| ヨーロッパ映画